空自に在籍中に1月に異動したことが一回あった。 通常の定期異動は、職分や階級にもよるが、定期異動としては年度末と八月が普通だった。 安は1月16日付けで異動したことが一回あった。 それは幹候校を前年末に卒業しての結果だった。 卒業時に転勤先が合わせて言い渡されていたので不都合はなかったが、中途半端な時期ではあった。 記録を見るとS54年だったから、御年41歳だった。 子供が小学生で学年の途中では可哀想だし、赴任先がK松だったので、冬の最中に子供連れで移動することもなかろうと、家族をI間においての単身赴任だった。 K松はI間に転出するまでの間住んでいたところで、安と和さんの郷里のとなりの県だから、特に問題はなかった。
空自では、幹部自衛官が単身で移動した場合は、通称BOQという独身宿舎に住むことも、自分で借家を借りても構わないが、官舎には原則として入居できない。 基地司令などの職分配分の宿舎はあるが、普通の官舎は家族が帯同することを原則とする公務員宿舎管理規則が存在している。 この規則は法律としてすべての公務員に適用される。
今年の冬も今日あたりは、日本海側は大雪と騒がれているが、33年前のあの年の冬はどうだったのだろうと思うが、思い出せない。 しかし、このBOQは三人が同じ部屋に住むことになっていた。 同室者の他の二人はともに戦闘機のパイロットだった。 それも当時の最新式の戦闘機の乗員だった。 安よりも10歳以上若い独身の人だったが、安が元の職が管制官だと分かると、気易く話し相手になってくれた。 一人は防大出の人で、他の人は操縦学生出の人だった。 ともに操縦者だけあって運動能力に優れて、冬の体育としての各種競技に長けていた人たちだった。 安は武道の段位持ちぐらいであったが、独身生活を満喫する予定だったが、初めての仕事だったので、それに慣れることの方が忙しい時間だった。 仕事場でも、前にいた時の知り合いがいたし、喧嘩した相手も大人になっていたので、仕事も順調に覚えて行ったし、先任空曹がよく班内をまとめてくれた。
三月下旬の年度末の締め切りで忙しい時期に、子供たちも無事進級出来た?みたいなので、引越しのためにI間に帰った。 車での行動だったが、安はI間において行ったので、同じようにI間からK松に先に転出していた人の車に同乗して、仕事が終わってから出発した。 夜間のドライブで、東名回りのコースを選んだ。 当時の世相としては、新東京空港の運用が開始された時期だが、まだ周辺では騒然とした雰囲気だった。 警察の警備も厳しいものがあったということは知っていたが、自分たちがそれに遭遇するとは思いの外だった。 当時はK松からの道は、東名高速につながっていなかった。 道路の状況はI間に住んでいるころから、帰省するたびに使っていたからよく知っていたが、直近の警備情報は知らなかった。 関ヶ原ICで東名に入ろうとしたら、警備に止められた。 身分証明書を提示したが、車の中から荷物やトランクの中まで調べられた。 応対は丁寧だったが、調査ももっと丁寧に行われていた。 確かにその時から何年か前になるが、安が元一緒に仕事をした友人が、新東京の管制塔に勤務中に空港反対暴徒に襲われ、ヘリで脱出したことを思い出して、無理もないことだと思った。
あれから33年が過ぎた。 今年の年賀状でその暴徒に襲われた友人も、最後の仕事も終えたと知らせてくれた。 彼の奥さんは安と同じ高校の後輩だったこともあって、彼らの結婚式が行われた京都の御所前のホテルに行ったことなども、思い出す。 これらの話は、一月から二カ月あとの話だった。
単身生活は初めてだが、その前の前年8月末から12月末までの、奈良での生活が単身だったが、こちらは60人の仲間と鎬を削る勉強の日々?だったから、一万数千円で購入した、たった一つの公式写真集?に残っている。 話は変わるが、芸能人の写真集が売れると言う現象が分からない。 自分の記録としての写真集でさえ、そういえばあったなというぐらいにしか存在感を認めない安としては、彼らの行動は理解しにくい。 また話がそれた。 結果は、初の仕事に就いたことがめっぽう忙しかったとしか、覚えていない。 最近の防衛大臣が、素人で――とか、わかっていないーーとかでごまかしているが、安も現任教養がないままにポジションについたから、似たようなものだったが、失言はしなかった?かな。 問題になるようなポジションではなかったということかと理解している。
人生、いつどんなことがあるか分からない。 まさか一月の半ばに、雪で名高い地方に関東から飛ばされるということは、予想していなかったが、これもお国のためと頑張って見るいい経験だったかもしれない。