ボケ防止にと、70歳からブログをスタート!
2年目に突入しました。
 
大型寒波
  今年もいわゆる大型寒波が来襲した。 昨年は寒波の結果、雪により邸宅というよりはバラックといっていいような家屋を防護しているフエンスが壊れて、エライ出費となった。 これに支払った金があれば、あれが食えるとか何が買えると言った批判があったが、親父としては家族の平和を防衛するフエンスは、無くてはならないものだと判断した結果だ。 まさか一時にあれだけ降るとはこの海辺の住宅地では、想定外の出来事だと思ったら、そのあとすぐに、例のフクシマの想定外が発生した。 何か関係があるかどうかは、知らない。 

 昨夜の予報では、当地も40センチの降雪といっていたので、今朝も心配で0300に目が開いた。 耳を澄ませても外の物音が何も聞こえてこない、これは風もなく森々と降る大雪の最中かなと、思いながら寒さに震えながらトイレに起きた。 何事か外ではブーンと低いうなり声が聞こえる。 飛行場の除雪機の音はそう少し金属音がするし、何の音?湯沸かしの音か?と、隣の風呂場を覗くと換気扇が回転していた。 そうだ、昨夜は2000に風呂に入った時に運転し始めて、8時間までセットしてあるから、えーっとと計算した。 後一時間運転する予定だから、コレの音かと納得して、また布団にもぐりこんだ。 清さんも今日が休みなので、朝起きはしなくてもいいからと気持ちよく0550まで、眠ってしまったが、何の支障も起きなかった。 改めて外を眺めると、薄明かりながら積雪はほとんどなく、昨夜の予報は何だったかと、がっくりした。 

 明るくなると、日も差し込むぐらいの天気となった。 毎日の体を使っての雪かきもしなくて済んで、運動不足になることを恐れながら?、家の中の掃除に励んだ。 当たり前の作業だったが?。 天気もいいし歩いて和さんと買い物に出かけた。 といっても、自分たちのエサの調達業務だ。 近くのスーパーのとなりにドラッグストアが、スーパーと同じころ開店していた。 ここいら辺りが10数年前に開発された地域であるので、必要なものはこの二店で、事足りた。 しかし、少し離れた場所に数年前に別のドラッグストアが開店した。 ここは駐車場も何十台分の広さがあり、店舗の規模も2−3倍ぐらいの広さがあったから、先発の店をだんだん圧迫したらしい。 とうとう、この25日に閉店した。 店員さんは同じ会社の他の店に配転になって行ったようだ。 昨日、別の店でSさんと顔を合わせて、挨拶した。 

 この店舗を今後どうするのかと、和さんが聞くが、たいていのことは知っている安でも?、この質問には返答が出来なかった。 例によってこの店が無くなるということが分かってから、何回も質問を受けたが、その都度どうするのかな、で解答になっていない。 今日は、別の動きが見えた。 閉店した後に、荷物を運び出す作業を見たし、今日は工事用の目隠しというか、メッシュの布みたいなものでかこってあった。 落語に”向こうの空き地に囲いが出来たね?、塀!”ではないが、塗装に使うもののようだったので、表に回ると店舗の名前などを消していた。 また、和さんから、次はどんな店が入るのかな?、だったが、?とだけ首を振った。 進行方向の先に赤の回転灯火が見えた。 国道とのT字路の手前だった。 多分、俗に言うオカマを掘ったかなという位置だが、そこまで見に行って確認するほど、足元は良くないので、こちらが救急車を呼ぶことにならないように、すぐ隣のスーパーに入った。 

 買い物をして出てくるときには、来る時と違い向かい風が出て、雪が降り出して太陽も雲の中だった。 防寒服のフードをかぶり帰途に就いた。 足元も圧雪ではあるが、そんなに滑らなくて良かったが、何時つるつるのアイスバーンになるかと思うと、寒波なんて来るなーと言いたくなる。 しかし、今日あたりの様子は30年ほど前の前任地の有様に似ているが、向こうの方がはるかに厳しい冬だった。 安は、その時”こんなところに住んでいる人間の気持ちが分からない”と広言して顰蹙を買ったが、確かに本土とは違う外国だと、正直思った。 彼らも我々を内地の人と呼んでいたから、お互い様かもしれないが、その底には何らかの伏線があったのだろうと思う。 今朝のチラシに先ほど行った店のチラシもあった。 眺めていると、駅弁の日とかで、各地の駅弁があった。 その中から、前任地とその前の任地の駅弁を二つ買い求めて、和さんと二分割して食べた。 二人で、冷たい弁当を食べながら、あそこはどうだったと懐かしく思い出していた。 和さんにも覚えていたことが、安には嬉しい限りだった。 これも元気なころにいた場所を思い出させるリハビリかなと思った。 
【2012.01.28 Saturday 15:46】 author : やっさん
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大安
  テーマの言葉が何を意味するかの深い意義は知らない。 子供のころから聞いてはいたが、詳しくは誰も教えてくれなかったし、自分でも調べようとは今でも思っていない。 最近は暦よりカレンダーの時代になっているから、これらの言葉自体を目にすることが少なくなった。 今日は大安で昨日は仏滅だった。 どこかのTV局の何とかの番組で話していたのを横目で見たが、視聴するほどではなかった。 何でも大安はいい日で、仏滅が悪い日だという風に記憶しているが、だからどうだって言うのかなと思っている。 めでたいことは大安に、不幸なことは仏滅にと言うほどでもないのか、よくわからないが、安は気にしない。 

 それよりも仏滅の昨日が、雪が積もってまた凍結して大変だったと、それは仏滅のせいにしていたが?、今日は昨日に輪をかけるぐらいに雪が降ってたいへんで、何が大安だという感じだ。 そのくせ、昨日は朝の早くから町内に除雪車が入ったが、除雪車が入るほどの積雪は無かったのに、騒音で起こされただけという人もいたようだ。 この被害者にとっては仏滅か?。 もっとも近くの飛行場は早朝から除雪車の音が聞こえたが、昨日だけで何便化の欠航が出たと報道された。 原因が除雪が進まなかったためかどうかは報道していない。 たまにTVなどで飛行場の除雪の状況を見ると、その見解も分かる気がするぐらいののんびりした作業に見える。 昔、K松で夜間の除雪の責任者として勤務した経験があるが、民間の飛行場の除雪は片手間の作業の範囲を出ていないような動きだ。 予算に縛られてはいても、航空機をかならず飛ばすという熱意に欠けていると見える。 

 大安の今朝は、安の家の付近で15センチぐらいの新雪が降った。 当然、近くの県道には除雪車が入ったと思ったが、暗いうちには入らなかった。 団地の中は、新雪だったが車の走行に支障が出るほどの雪ではなかったような状況だったことが、不幸中の幸いの大安効果?だったのかと苦笑いの朝だった。 歩いてゴミ出しに行っても、近くのトラックターミナルに早々と毎朝出勤してくる人たちも、いつものように県道を走っていたから、特に支障のない降雪だったのかと思う。 買い出しに今日は近くのスーパーでない所に出かけた。 それは、近くのスーパーの横にあるドラッグストアが、閉店したために、そちらの店での買い物があったからだ。 ここへ行くには団地から県道に出て、また次の角で国道に出て、次の角をまた県道に曲がっていくという片道約1.8キロぐらいの距離にある県内屈指の地元資本のスーパーが企画した店の集まり(何と言う名称だったか出てこない)の中にある。

 このときは県道も国道も除雪車が入ったという証拠が、路面に残る除雪車のタイヤ痕がガタガタと振動で伝えてくれていて、安のおんぼろ車の部品をガタガタ言わせていたから、判断出来た。 しかし、ここのスーパーは、広い駐車場には除雪車を入れていなかったが、周辺部にある店の前は個々に除雪するようになっているのか、きれいに除雪されていた。 核となる店だけが除雪しないというのもなんだかなーという感じだった。 夕刊でも指摘があったが、さすが全国に報道されているように、この地方も大雪だと言うことから、こんな海辺の町でも外に出る人がすくないのか、お客が少ない。 食料品店がこんなありさまだから、衣料品やその他の急がない商品を扱う店の客足が減少するのも、分かるような気がする。 大安でもこんなありさまだから、明日の赤口はどうなる?。 何のコッタ?。
【2012.01.27 Friday 16:04】 author : やっさん
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1月の人事異動
  空自に在籍中に1月に異動したことが一回あった。 通常の定期異動は、職分や階級にもよるが、定期異動としては年度末と八月が普通だった。 安は1月16日付けで異動したことが一回あった。 それは幹候校を前年末に卒業しての結果だった。 卒業時に転勤先が合わせて言い渡されていたので不都合はなかったが、中途半端な時期ではあった。 記録を見るとS54年だったから、御年41歳だった。 子供が小学生で学年の途中では可哀想だし、赴任先がK松だったので、冬の最中に子供連れで移動することもなかろうと、家族をI間においての単身赴任だった。 K松はI間に転出するまでの間住んでいたところで、安と和さんの郷里のとなりの県だから、特に問題はなかった。 

 空自では、幹部自衛官が単身で移動した場合は、通称BOQという独身宿舎に住むことも、自分で借家を借りても構わないが、官舎には原則として入居できない。 基地司令などの職分配分の宿舎はあるが、普通の官舎は家族が帯同することを原則とする公務員宿舎管理規則が存在している。 この規則は法律としてすべての公務員に適用される。

 今年の冬も今日あたりは、日本海側は大雪と騒がれているが、33年前のあの年の冬はどうだったのだろうと思うが、思い出せない。 しかし、このBOQは三人が同じ部屋に住むことになっていた。 同室者の他の二人はともに戦闘機のパイロットだった。 それも当時の最新式の戦闘機の乗員だった。 安よりも10歳以上若い独身の人だったが、安が元の職が管制官だと分かると、気易く話し相手になってくれた。 一人は防大出の人で、他の人は操縦学生出の人だった。 ともに操縦者だけあって運動能力に優れて、冬の体育としての各種競技に長けていた人たちだった。 安は武道の段位持ちぐらいであったが、独身生活を満喫する予定だったが、初めての仕事だったので、それに慣れることの方が忙しい時間だった。 仕事場でも、前にいた時の知り合いがいたし、喧嘩した相手も大人になっていたので、仕事も順調に覚えて行ったし、先任空曹がよく班内をまとめてくれた。 

 三月下旬の年度末の締め切りで忙しい時期に、子供たちも無事進級出来た?みたいなので、引越しのためにI間に帰った。 車での行動だったが、安はI間において行ったので、同じようにI間からK松に先に転出していた人の車に同乗して、仕事が終わってから出発した。 夜間のドライブで、東名回りのコースを選んだ。 当時の世相としては、新東京空港の運用が開始された時期だが、まだ周辺では騒然とした雰囲気だった。 警察の警備も厳しいものがあったということは知っていたが、自分たちがそれに遭遇するとは思いの外だった。 当時はK松からの道は、東名高速につながっていなかった。 道路の状況はI間に住んでいるころから、帰省するたびに使っていたからよく知っていたが、直近の警備情報は知らなかった。 関ヶ原ICで東名に入ろうとしたら、警備に止められた。 身分証明書を提示したが、車の中から荷物やトランクの中まで調べられた。 応対は丁寧だったが、調査ももっと丁寧に行われていた。 確かにその時から何年か前になるが、安が元一緒に仕事をした友人が、新東京の管制塔に勤務中に空港反対暴徒に襲われ、ヘリで脱出したことを思い出して、無理もないことだと思った。 

 あれから33年が過ぎた。 今年の年賀状でその暴徒に襲われた友人も、最後の仕事も終えたと知らせてくれた。 彼の奥さんは安と同じ高校の後輩だったこともあって、彼らの結婚式が行われた京都の御所前のホテルに行ったことなども、思い出す。 これらの話は、一月から二カ月あとの話だった。

 単身生活は初めてだが、その前の前年8月末から12月末までの、奈良での生活が単身だったが、こちらは60人の仲間と鎬を削る勉強の日々?だったから、一万数千円で購入した、たった一つの公式写真集?に残っている。 話は変わるが、芸能人の写真集が売れると言う現象が分からない。 自分の記録としての写真集でさえ、そういえばあったなというぐらいにしか存在感を認めない安としては、彼らの行動は理解しにくい。 また話がそれた。 結果は、初の仕事に就いたことがめっぽう忙しかったとしか、覚えていない。 最近の防衛大臣が、素人で――とか、わかっていないーーとかでごまかしているが、安も現任教養がないままにポジションについたから、似たようなものだったが、失言はしなかった?かな。 問題になるようなポジションではなかったということかと理解している。 

 人生、いつどんなことがあるか分からない。 まさか一月の半ばに、雪で名高い地方に関東から飛ばされるということは、予想していなかったが、これもお国のためと頑張って見るいい経験だったかもしれない。 
【2012.01.26 Thursday 16:29】 author : やっさん
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日ごろの行いが?
  今日、1月25日は安にとっては鬼門の日のようだ。 昨日もこのブログで神か仏かに祈ったが、その努力もむなしく、天の神は気象庁の味方をしてしまった。 ”今日から大雪”が見事に当たってしまったのがその結果だ。

 なぜ今日にこだわるのか。 理由と裏付けがあると言うほどではないが、自分なりの気象特異日なのだ。 ただ、安の個人的な記憶によるもので、気象庁の記録ほどは正確ではないので、念のために申し上げておく。 

 と大げさにアドバルーンは上げたが、なんだったけな?と、反問する。 確かあれは20数年前のことだなといったぐらいの記憶だ。 住所に家族を残して、ここよりはるか300キロぐらい北にあるA県の半島にあるところに、単身赴任を命じられて赴任した。 高速道路のない往復路で、全行程が一般道路の行き来には時間がかかる。 列車も適当なものがないとなれば、自然と車になる。 そんな生活を余儀なくされていたころ、帰省してひどい目にあった経験が1月25日だと記憶している。 

 数年前に、ある川の鉄橋で列車が転覆した事例がニュースで流れたが、あの場所の前後を含めて概ね海岸に近い平野を通過することが多いのが、往復の道路だった。 横殴りの風が雪を舞い上げて、海側に設置してある雪よけの隙間から吹きぬけて行く様は、経験しないと分からない恐ろしいくらいの迫力だった。 視程は落ちるし、ハンドルは取られるし、横殴りの吹雪に航空機で言うバーティゴ状態だった。 そんな道は当然に凍結していてブレーキが利きにくくなっているから、怖さが倍加する。 

 なぜそんな日に帰省したかは覚えていないが、なぜか日付だけは覚えている。 その後、この日が近づいたり、そうでなくても雪の予報が出ると自然にわき出る記憶に1月25日と反射的に浮かぶ。 逆に1月25日にと日付けを言われると、あの猛吹雪を想像する。 今日は、前回の通院で指定された日付だったので、昨日もブログで心配したように荒れないでほしいと思ったが、予感が的中してしまったという結果になったというわけだ。 

 朝6時前に起きてみると、5センチぐらいは積もっていたが、凍結はしていないようだと判断した。 しかし、飛行場では除雪車が出動している音が聞こえたから、場所によっては多いのかなと思っていた。 通院予定は0830までに着くようにと指定されていたので、それに間に合えさえすればいいなと思っていたが、0700頃明るくなった外を見てびっくりした。 また雪が降り出していて、積雪が増えていた。 0800ごろから車の上と駐車場の車の周辺および、すぐ隣の清さんの車の上も雪を払っておいた。 ただ、今日は採血して検査がある日だったので、起きてから飲まず食わずの規制があって、あまり、体を動かすことが検査の結果に影響があると思えたので、除雪も適当な所で止めて、病院に向かった。 さすがにこんな日は病院も暇だろうなと思ったが、思いの外で結構来ていた。 採決の検査もいつもより多いみたいで、順番待ちがたくさんいた。 その結果を待つことも当然に長くなり、帰宅までの時間が、2時間半も要した。 その間で必要な時間は、採血5分、診断3分、会計支払い2分、薬局業務15分ぐらいだから、後はすべて待つ、待つ、待つの忍耐力が必要な時間だった。 

 並んでまでラーメンなどを食べる気がしないという安の生き方に反する行為をしなければならないことの苦痛も含めて、今日の大雪の始まりの日が来たことに、やはり今日は三隣亡と仏滅と13日の金曜日ではないがそれが引っ越して来たような日だったが、検査の結果は気の合わない医師から、これほどの良好な検査結果が出る人も珍しいと、嫌味かほめ言葉か知らないが言われて、単純にいい気分で、病院を後にした午前中でした。 鬼門って何?みたいな。。。。。
【2012.01.25 Wednesday 15:49】 author : やっさん
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不適当な立ち話
  今日は朝方から降ってはいなかった。 暗くて雲の状況が分からなかったので、降水現象だけは新聞を取りに玄関のドアを開けた時に確認した。 明るくなってから見ると、雲が切れて朝日が差し込んでくるくらいの好天だった。 昨日は吹いていた風もなく静かだが、反面では放射冷却のためか、うっすらとある積雪が凍結していたことを、車の雪落としの時に発見した。 路面は雪に隠れていたが、すぐ下は完全に結氷しているようなアイスバーン状態に思えた。 

 天気もいいし、和さんと歩いて買い物に出た。 近所のスーパーと、ときどき行くそのスーパーの道路を挟んで向かい側にある”100均”の店に行こうとした。 家の前の道路の状態は分かったが、その先が問題だった。 家の数なら何軒か先が、いつも散歩に使う開発地で、ここは畑だったところであるが、はるか昔は海岸段丘の内側にできた水たまりだったらしいとの地元歴史があると言うところだ。 古い街並みがあるこちら側は、ここも何十年か前までは原野だったところらしく、新開地に出るときは浜に降りるような坂道がある。 長さにして20米もない坂だが、今朝などは車の轍などは黒く光って見えた。 車の交差が出来ないほどの狭い道だから、畑に行くリヤカーぐらいしか30年前までは通ら無かったはずだ。 

 その場所が、近道をしていく近所のスーパーへの一番の難所?となっている。 車と交差するときは道端にある塀につかまって避けるぐらいの難所だ。 この坂が日陰になって1030頃でも凍結していた。 和さんが足を取られて滑っているのが怖くて、声をかけながら歩いていた。 この坂を行く時はくだり、帰りは登るわけだ。 まるで距離は違うが、スキー場のゲレンデか、前に住んでいた根室の街中かと思える場所だ。 その帰りに坂にかかる前に向こうからすぐ近所の和さんの知り合いのご婦人が、老人用の三輪車にまたがって坂を下ろうとしていた。 このご婦人の旦那が昨年末に亡くなったことは知っていたが、葬儀などには参加しなかったから、死亡の理由なんかは知らなかったし、秋ごろから奥さんにも会っていなかった。 突然に出会ったのが、この下り坂だった。 危ないとは思ったが、止める権利も義務もないから、そのままの行動で進行し、坂の中間地点で止まって挨拶が始まった。 サー大変だ!と、曲がってくる車がないかと神経をエンジン音に集中していた。 

 一通りの話では、旦那が無くなった事情を問わず語りに教えてくれた。 元気に朝食を摂って、外に出向いてしばらくして玄関に何か当たる音がしたので出てみると、旦那が倒れていたという。 すぐ救急車で運ばれたが間もなくなくなったらしい。 その間数分だったが、予想通り車が来て坂にかかる前に停車して、われわれが十分に除けたのを確認して通過して行った。 しかし、彼女の話から、二人暮らしが長かったから、旦那がいなくなって淋しいと盛んにこぼしていた。 分かる気持ちもするが、旦那も94歳まで元気にしていたと言われて、こちらが驚いた。 20年ほど先輩だったが、耳は少し不自由だったようだったが、すぐ前の空き地に時期の草花などを咲かせていたのを知っていたし、挨拶をするぐらいの付き合いだけだったが、いわゆる”ピンピンコロリ”で、亡くなったことに羨望の感じがした。

 凍結路でその上、長くはないが見通しの悪い坂道で立ち話になったことに少し一般人として申し訳がなかったと反省しているが、人生の先輩としての近隣の住人の大往生が分かり生きる参考にするとともに、ご冥福をお祈りしたい。 
【2012.01.24 Tuesday 16:01】 author : やっさん
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孫来襲
  昨日は午後になってから突然孫二人とその親が二人来た。 何でも清さんがある要件で呼んだということを後で聞いた。 下の孫も少しは言葉が出来るようになった。 可愛い盛りだが、騒がしいと感じることには関係ない。 老人所帯の中では、少しの変化も騒がしいということになる。 別に子供ばかりではなく、搭乗する目的で飛行場に行けば航空機のエンジン音などを含め騒音の対象となる音も、楽しげに嬉しげに聞こえる。 しかし、航空機などには関係のない生活を飛行場の周辺でしている住民から見れば、騒音の塊としか聞こえないから、反対運動が起きてくる。 たとえば、沖縄の米軍基地の問題も、外国人が騒音をまき散らしていても、住民に何の利得もないと感じさせることしかできない政府の愚策が、反対運動を大きくしているし、米軍も占領地の延長としか見ていない使い方をしているから、双方にいがみ合うばかりが続いていると思う。 

 孫の話が、沖縄問題になるほどくらいの事件が昨日あり、恒常業務?のブログが叩けなかった。 確かに、若いころのエネルギーは大したものだと感心する。 自分も子供が二学年違いでいたが、そのようなころには子供に苦労したとかうるさかったなどのマイナス要因が全くなかった。 特別に”うちの子”が優れていたためではなく、十分にいい子だったが、それ以上に親が元気で若かったことだと思う。 うちの子が成人するまでに、数回の住民票の書き換えをしたが、その上、引っ越しも全国的な範囲だったが、何も問題はなかったと思う。 子供が嫌がるとか、転勤先でいじめられたとかの話が聞いたことはなかった。 

 しかし、今はどうだろう。 この地に来て一回だけ単身赴任で家を離れたが、その間に子供は学業をはなれて、外に活躍の場を求めて巣立っていった。 何も援助もしなかったのに、もちろん親の懐を心配しても、何も出ないということを知っていた賢明さは、秀逸だったと言える。 自分で相手を見つけて愛の巣を構えていて、ときどき孫を連れてまだ生きているかどうかを検分に来てくれるが、”えと”が6回転以上になると、衰えを見せてきた親のだらしない姿しか見えなくなったことだろうと思う。 孫の相手を少しばかりすると、疲れた顔になるのはどうしようもない現実だ。 

 そんなわけで、昨日は”ブログの孫休み”になった。 もっとも上の子は、家に来て1時間もたたないうちから、安のダイナブックの前に陣取って、下の孫とけんかしながら遊んでいたから、安の遊び道具もなかったことになっていたから、仕様がないなということになった。 

 予報通り、昨日は暖かな静かな冬日だったが、今日は朝から風が吹きまくり、めまぐるしく空模様が変化している。 先ほどは積りはしないが雪が横殴りに降っていた。 明日と明後日が大雪と予報されている。 明後日の安の通院は大丈夫かなと思いながら、キーボードを叩いている。 古い言葉で、”ケセラセラ”とでも言いたい気分だ。 
【2012.01.23 Monday 15:57】 author : やっさん
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外食
  以前は気分転換に外食が楽しかった思いがある。 しかし、最近は外食をしないことが多くなったためか、外に出ること自体が億劫になった。 自然外食の機会が減ったことになる。 和さんはまだ行きたいらしい。 つまり二人分でも食事を作ることがこちらの方で億劫になったみたいだ。 だから、普段でも二食ぐらいだから、作るよりも外に出るかまたは弁当にするということが多くなった。 安は、どちらでもいいけれども、弁当でも買いに行かなければならないから、これも億劫になってきつつある。 

 そんな時に、こんな田舎の都市でもネット通販で買えるようになったらしい。 ネットスーパーとか言っているようだが、詳しいことは分からない。 システムの概要は分かるが、具体的にはどのようにするかは、関心がないうえに覚えようとしないから、知らない。 近所の家あたりでは、食事の配達というものも受けている人が増えたらしい。 ときどきチラシ広告で新聞とともに来るが、あれぐらいでこの金を払うのかという思いがある。 確かに、家の玄関に置かれた箱を見れば入っているのだから、まるで腹の減った犬が自分の小屋の前にあるえさを食うことと変わりがない様子だ。 それも結構なお代を払って、犬畜生と同じ待遇を受けることに、万物の霊長たる人間としての矜持はどこかに行ってしまったのかと、慨嘆するがいかがでですかね。 

 瀕すれば鈍するという。 貧なのか品がないのか知らないが、まるで家つきの乞食みたいな風景に見えると言うのは言い過ぎか。 自分も、やがてそうなるのだろうと思うが、ネット何とかという商売も、考えてみれば昔は金持ちしか、あれ持って来いとか言えなかったころを思い出せば、言いつけて持ってこさせる方は、豪勢なものだと思う。 ただし、対象がエサみたいな食いものだと言うことに若干のこだわりがある。 昔の金持ちは出入りの商人が、ご機嫌をうかがいに来て商売をしていたようだ。 今でも、個人宅を訪問する商売はあるが、食物を販売すると言う商売は、焼き芋屋などしかなかった。 街中でも商売の仕方が変わって昔の盛り場は閑古鳥が鳴いているようだが、日本人の生活様式が変化していることに、昔人間が追い付いていけないだけなのかと反省することしきりだ。

 今朝は、清さんの用事で朝から三人で出かけて、お昼を外で戴いたというより、回転寿司で済ました。 市中にあり、元魚市場の跡地に市の肝いりで造られたために、交通の便もいいし食べ物の店を各種そろえた便利さと相まって人気の場所だ。 観光客も対象にした品ぞろえもしているが、何しろ期限付きの営業らしいところが、若干の隘路になっているみたいだが、現在は客の入りもいいらしい。 お昼を食べてから、ドアツウドアで、隣の店に行き夕食の食材を購入して帰宅した。 久しぶりの街中は、通院するコースと半分ぐらいは重なるコースだが、別の用事で外で過ごすと疲れを感じるのは年のせいばかりでしょうか。 

 今週は気温も高く推移したが、来週になるとまた本格的な寒さが戻るらしい。 25日の水曜日が安の何年か続いている病気の通院日だ。 その頃は、統計的にも一番寒さが厳しい時だと思っているから、何事もなく済んでほしいと願うばかりだ。 
【2012.01.21 Saturday 16:09】 author : やっさん
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試験が嫌い?
  どんな形の試験でも嫌いという人は、いないと思う。 友達に自分の得意なことについて質問されれば、知っていることをべらべらとしゃべることをするだろう。 それも試験の変形だとしたら、試験が嫌いなんていう人はいないことになる。 ただ、自分の嫌いなことを調べられるのが不得意なだけで、漫画の内容について、安なんかが聞かれたら、絶対に零点確実だ。 学校で教わった範囲内で、進学の試験があるのに、どうして皆嫌うかというと、全部覚えておかないと不安だからということに他ならないと思う。 確かに試験する方とすれば、これだけは知っていてほしいと思っても、記憶できない範囲以上の知識を示さないと合格しないとなれば、相当の負担になるだろう。 しかし、学校で試験があるわけだから、卒業をしていれば、知っているはずのことばかりだろうと思う。 今回のセンター試験の問題を新聞紙上で見たが、安などが教育されたことと内容が異なっていたが、差がありすぎて回答が出来ない問題がたくさんあった。 しかし、生きて行く上では、何の支障もないし、差別も受けないから試験は試験だということだ。 この学校に入ると言う希望だけでは、やはり困難なことなのかなと思うが、現職のエライ人が名のある大学を出ているが、常日頃の行動はあの大学出がなあー、と思われる人が多いのは、なぜだろう。 それも私大系の卒業者に多いのも不思議だ。

 今、希望の職業なり会社に入れないと言う人がいるらしい。 しかし、現役で活躍している人がすべて希望通りに進んだ結果ではないと思う。 しかしデータがないので確定ではない。 何回も言ってきたが、希望の会社に挙げられたところで、しばらく仕事をしたが、新人で大学出が来るが、全員がそのままその会社には定住しないということを、経験した。 採用した会社側も退社を止めないようであった。 なぜこんなことになるのかよくわからないが、評判と実態が異なるのか、職業というものが厳しいということを知らずに入社したかなどの理由はあるだろうが、分からない。 

 安が仕事に就いたきっかけが、何回かあったがすべて、しょうがないか生きて行く上には、というような諦観の結果だった。 飯を食べると言う原則には、勝てなかったと言う方が分かりやすい。 入る時試験があったのは、空自だけだったが、それも原則的な誰でも分かるようなことばかりの、筆記と口述の試験だったし、これも相手側から頼まれて受けた試験だった。 結果はそのまま31年間もお世話になったが、最初は3年で辞めるつもりだった。 ”希望は大学を卒業する”だったが、ずるずると空自の魅力に?引きずりこまれた見たいなところがあった。 

 空自では、試験がないかというととんでもないことで、一般の会社は知らないが、筆記試験なり実技の試験がかなりたくさんある。 また、仕事によっては民間のというより公的な資格が必要な時は、特別のコースに入り基礎を教わった後に公的試験を受験しなければならなかった。 つまり、試験嫌いでは通らない生活が毎日あったといっていいかもしれない。 これは会社でも同じことだろう。 筆記の試験は無いかもしれないが、営業成績などは個人なりグループなりで評価される実技試験以上の結果が求められるものだろう。 または、上役の人事考課もあるだろうし、大変だろうと思う。 昔は、他人が何と思うかとか人が見て何というかと思いながら、毎日を過ごしていたのだろうから、他人の評価に慣れているのだろうが、戦後の教育なり、家庭の生活が崩れてきた。 個性を伸ばせ、上から目線ではない、人は皆平等という間違った思想が蔓延してきたために、好き放題の行動が重要視されて、学校でも普及しているみたいだ。 団体での行動が否定される個性の時代だともてはやされた。 

 昨年の流行語が絆だった。 一族、親戚、近所などの団結が叫ばれたと解釈したが、そうではないかもしれない。 絆なんてなくても、困っている人には無条件で手を差し出すことは、大仰に叫ぶものではないし、同調するものでもない。 余裕のある人が自分の余裕の中で、暖かい手を差し出すのが人道だと思う。 自衛隊が出動なんてものは人道でも絆でもない。 業務としての災害派遣に過ぎない。 人の目に触れるような活動ではないから、知らない人はびっくりするだろうが、日常の生活が延長されているだけだから、特にすごいわけではないが、たまには命を失うこともあることを承知して行動している、いわば日常茶飯事の行動でしかない。 それを、政治的にまつりあげたりすることが危険なことになることを知らなければならないと思う。 

 日ごろ無関心でいると、試験があっても何の役にも立たない近所の住人となることは、自分の経験から身を以て結果を体験した。 最近は、就職でも家族の生活の細部にはタッチしないという。 育った環境を調べることは、その団体にとって将来を託すかもしれない人物を採用するときの貴重なデータではないかと思うが、調査書には親父の職業もないという。 確かに個人を採用するだけだから、親父の人柄は関係ないかもしれないが、育った背景は知っていた方がいいのではないか。 試験の範囲には、それも必要なことではないかと思う。 
【2012.01.20 Friday 16:10】 author : やっさん
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試験の結果は!
  50年前の今頃は、空自の管制の学校に在籍していた。 しかし、制度変更で卒業資格も持たずにいた。 同期の中では4名だけが卒業を二月の何日だったかは忘れたが、卒業が確定していた。 他の十何名かは、どうなるのか皆目見当がつかない宙ぶらりんの恰好で、それでも課程の中で、最後の実習の課程を頑張っていたかどうかは知らないが、なんとなくやっていたのだろうと思う。 このあたりの期間の記憶が全然残っていない。 悩んでいたとか、やけくそになっていたとかの記憶もないから、多分、気の抜けた生活を送っていたのかもしれない。 それは、つい先日センター試験があって、センターの不手際から受験が思うように出来なかった何千名かの受験者諸君と同じような気持ちではなかったかと思う。 ただ、衣食住に困らないだけ?気分は沈んではいなかったかもしれない。

 結果としては、一月以上遅れて卒業することになったが、その時の暫定試験が、受験生の立場から見てもやっつけ仕事で造った問題だと分かるようなもので評価されたから、本当に合格して良いのかどうかの疑問があった。 問題が古いものや、範囲外の問題などがあったことを覚えている。 監督の教官にその旨を申し出たりしたと思う。 どうせ、落ちても空自を退職すればいいことだから、意見はすべて出したが、教官が判断できる問題ではなかったから、上層部でも面倒だ、えいやっとばかり、我々を放りだしたような感じの処置の仕方だった。 本当は知らないが、自分たちから見るとそんな感じだった。 

 同時に遅れて卒業した仲間は、別に申し合わせたわけではないが、卒業後はどこの基地に所属したいかというアンケートが形ばかりで行われた。 どうせ、希望が通るわけでもないしという、いささか捨て鉢な気持ちで、皆が行きたがっていたI基地と希望した。 この基地の現場を見学に行ったことだけで、皆が行きたがったことと、関東にあり東京に遊びに行きたいと言うことだけで人気があったと思う。 安は、卒業の序列が最悪だと知り合いの教官に聞いていたし、自分でもやる気のないことを何時も言っていたから、希望などが受け入れられるとは思っていなかったから、当然に面白半分にI基地を希望した。 ところが、ふたをあけてびっくりで、安ともう一人風采の上がらない東北出のSとの二人がI基地に配置されて、他の仲間からどうしてあいつらなんだ、というやっかみの苦情が出ていた。 対抗して、お前らの態度が悪いからだと、安連合は反論した?。 しかし、この結果にはオチがあった。 着任してすぐ、隊長の面接で”おお、一位と二番目か”と評価されたので、”そんなに良くはなかったです”というと”バカ!ケツからだ!”と一括された。 海兵出の隊長でべランメー口調の口調は悪いが頭はいい人だったが、その後転勤先で不祥事があり退職した。 基地内では、当時最高の通訳として米軍との折衝も出来る面白い人だった。 退職後は、事業を始められたという話は聞いたが、まだお元気なことではないかと思っている。 

 センター試験でだめだったかもしれない諸君は、希望なんかもうないやと、落ち込んでいるか、また来年頑張るかと意気込んでいるかさまざまだろう。 二次試験を目指している人もいるだろう。 自分の人生がどうだったかを判断するには、後半世紀は必要な期間だと思う。 安ぐらいの年齢になってやっと生きてきた道が見えるぐらいのなる。 それまでは、近い目標が突破できなくても、君の人生が終わったわけではないし、もっと素晴らしい世界が待っているかもしれない。 ただ、楽な道というものはどこを探しても落ちてはいないからということだけは、肝に銘じて置くべきだ。 汗と涙の努力があれば、道は切り開かれると言う月並みな言葉が分かるには、半世紀が必要だろうと思う。 
【2012.01.19 Thursday 15:52】 author : やっさん
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冬の空
  仕事の関係もあり、子供のころを除いて一つ所に定住はしていない生活を続けていた。 一番長く務めた公務員を定年になってからは、現在地に住んでいる。 ヤドカリのようにあるいは浮草稼業とまでは行かないが、はたから見れば落ち着かない生活をしていたとみられると思う。 しかし、こちら側から見ると、どうしてこんなところに飽きもせず何年も住んでいるのかと、疑問が出てくる場所もあった。 古から住めば都という言葉がある。 この言葉は、諦観の極みなのか、事実なのかは分からないが、経験から見ると、両方の側から言えるような気がする。 

 今年の冬は、関東あたりでは降雨が少なくてひと月を超えて、乾燥注意報が発令さえているという。 乾燥警報というものがあるかどうかは知らないが、それに匹敵するぐらいの降雨の少ない冬のようだ。 安自身も、独身の頃と、家族持ちになってからと二回だけ、通算すると八年ぐらい関東に住所があった。 日本海側の生まれだから、冬に天気が続くと言うのが不思議な気がしたが、特にそれでよかったとか、何か不具合があったとかは感じなかった。 四季を通じてもどちらが住みやすかったかは、一概には言えなかったが、面倒なことが少ないのは、太平洋側であったとは思う。 

 友達の中に、東京生まれの東京育ちという人がいた。 彼が日本海側に転勤してきての感想のひとつが、子供が風邪をひかなくなったという言葉が、印象に残っている。 特に病弱でも無かったから、どうしてという疑問を、彼に投げかけたところ、日本海側の冬場は、通して気温が低くて寒い感じがするが、気温の変化の程度が少なくて、過ごしやすいと言っていた。 確かに太陽熱が少ないから、昼間でも夜間でも気温の上下が少ないことは、よくわかるから、納得の説明であった。 しかし、それ以外にはマイナスかどうかは話していなかったから、満足していたのか、あるいは,”郷に入った”のかは、分からない。

 今日は、天気図が示した通りの現象となり、夜明け前から雲も少なくよく晴れて、市内でも里山の方では氷点下10度を記録したという。 海岸近くの我が家の周りは、風もなく凍結はしていたが、体感としては”暖かい”と思えたぐらいだった。 体は忘れたが、多分この感覚は関東に住んだころの感じだったのではないかと思った。 冬季には滅多にない好天となってお日様もサンサンと輝き、まるで“東京見たい”な感じだったのだが、それがいいことか悪いことかは、一概に言えないなと感じた日だった。
【2012.01.18 Wednesday 16:32】 author : やっさん
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